廃止される夕張支線の最初の駅!石勝線・沼ノ沢駅とは?

石勝線の沼ノ沢駅を紹介します。夕張市内を北上していく「夕張支線」の最初の駅である沼ノ沢駅は、2019年4月の廃止が決定しています。廃止される前に、ぜひとも足を運んでおきましょう。

夕張支線は、山々の情景を車窓に写しながら進む!

炭鉱の歴史と足跡をたどる夕張支線は、新夕張駅から夕張市内を少しずつ北上していきます。夕張支線の5駅は、どれも夕張と炭鉱の関わりを静かに語る場所ばかりであり、静かで寂れた駅を巡りながら夕張の歩みを感じることができます。

夕張支線は2019年の4月に廃止されてしまうことが決定しています。廃止になってしまうと、終点の夕張駅以外の駅舎は解体・撤去されてしまうことが確定的です。今のうちに、駅舎をファインダーに収めておく必要があるでしょう。

夕張支線は、新夕張駅から山々の情景を望みながら進んでいきます。

炭鉱がほとんど閉山されてしまった現在、夕張支線の周囲には農村地帯が広がっています。

夕張支線の最初を飾る駅!沼ノ沢駅とは?

夕張支線の最初の駅である沼ノ沢駅は、1905年に開業した駅です。かつてこの場所にあった「北炭真谷地炭鉱」への人と物資の輸送を担っていた駅であり、北海道炭鉱鉄道時代から長年にわたって愛され続けてきた駅となっています。

北炭真谷地炭鉱は、夕張の炭鉱の中でも特に良質な原料炭を採掘できる炭鉱として有名であり、最盛期には他の炭鉱と共に夕張の経済を一手に担い続けてきた場所でした。沼ノ沢駅でも石炭鉄道が途切れなく行き交い、活況を呈している駅のひとつだったのです。

北炭真谷地炭鉱は炭鉱が衰退していってからも操業を続けていましたが、北炭の経営難にともなって1987年に閉山。真谷地炭鉱の閉山をもって、夕張市にあった北炭の経営する炭鉱はすべて閉山することとなりました。

沼ノ沢駅外観。塗装ははげていますが、全体的には比較的綺麗な状態が保たれています。

炭鉱事業の衰退に伴って利用者数が激減。1986年には無人駅となりました。駅の事務所があった場所には、現在「レストランおーやま」というお店が入居しています。

駅構内の様子。待合所の椅子には有志が寄付した座布団が置かれています。

炭鉱鉄道の写真が飾られており、当時をしのばせるものとなっています。

時刻表。上下線とも5本ずつの運行となっています。

ホームの様子。非常に簡素で、1面しか用意されていません。

ホームから見た駅舎。

夕張方面の線路。

駅前の様子。閉店してしまった商店が、哀愁を感じさせます。

周辺にはガソリンスタンドの他、民家が何軒か建っているだけの静かな場所です。

沼ノ沢駅周辺スポット:沼ノ沢神社

夕張の経済を支え続けてきた炭鉱は、一歩間違えば死と隣り合わせという過酷な現場でもありました。実際、炭鉱全盛期には何度も事故が起こっており、いくつもの尊い命が奪われてしまっていました。

そういった炭鉱の安全を祈願するため、そして住民の穏やかな生活を祈願するために、夕張市には神社がいくつも存在しています。この沼ノ沢神社も、そのような炭鉱労働者の安全や住民の生活を見守るための神社として、長きにわたってこの場所に存在し続けているものなのです。

沼ノ沢神社外観。敷地自体は比較的大きな神社となっています。

地域のお祭りなどが開かれるスペースです。簡易的なステージも用意されています。

神社のすぐ裏手には、雄大な山々の姿もあります。

本殿。真谷地炭鉱の安全も、長年にわたって祈願し続けてきました。

沼ノ沢駅のまとめ

沼ノ沢駅は北炭の最後の炭鉱となった真谷地炭鉱への人と物資の輸送拠点として重要な役割を担ってきた駅です。古めかしくどこか無骨な雰囲気を感じられる駅舎は、真谷地炭鉱の歴史を静かに語り続けています。
沼ノ沢駅を過ぎて、夕張支線はさらに北上を続けていきます。次回は、同じく北炭の歴史をたどることができる「南清水沢駅」まで、ゆっくりと進んでいきましょう。

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むらはし

むらはし

北海道の鉄道に魅せられた平成世代。北海道に数多くある秘境駅、廃線間近の路線などを巡り、その素晴らしさを伝えたいと思っています。

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